院長挨拶/プロフィール

    

院長 泉 賢秀 プロフィール

 

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身体のツボで心もととのえ感謝を伝える医僧。

 

浄土宗光山寺第16世住職。

寿楽堂治療院院長。

鍼灸学士。富山県射水市新湊在住。

こころと身体を同時に癒せる治療法を探求中に、

医学と仏教の智慧をあわせた“気診”という気の診断治療法に出会い研鑽。

 

これまで約25年間で13万人に東洋医学と祈りを統合した独自のツボ施術を行う。

同時に生活の中の祈りや感謝、そして念仏を伝統あるこころと身体の健康法として伝道している。

 

また、ダライラマ法王直系の弟子であり、活仏認定をされているザチョゼリンポチェ師より直接「薬師如来」の灌頂を授けられた。

 

光山寺に祀られる大仏と3,000体を超える仏像(千体佛)の恩恵も授かり、うつ病や更年期障害、自律神経失調症なども改善。

「ゆとりが持てるようになった」「家族との関係がよくなった」など感謝の声があふれ、健康雑誌などでも紹介され、「開運治療」として特集番組でも放映された。


医僧の使命感

気診(筋反射テスト)による気功・はり灸治療を行い、

健康でこころ豊かな人生を送るために支援する。

 

1 病気にならないような健康維持のサポートを行う。

2 病気になった時の手当てを行う。

   身体のケア   痛みなどの身体的な苦痛を改善する

   こころのケア   悩みや不安など精神的な面を癒し、安心に導く

   たましいのケア  霊性を輝かせ、自然治癒力を高める

3 病気を通して意識が成長・進化することをひそかに支援する。


医僧の軌跡   ~医僧誕生の秘密のうら話~

平成元年4月、突然父が脳内出血で倒れた。

私が大学3年生のときです。

手術できる部位ではなく90%以上生きる確率はないといわれた。

 

昨日まで元気に働いていた父が、病院のベットで酸素マスクをして寝ている。

医者は「覚悟しておいてください」と。

 

正直、何がおきたのかわからなかった。

 

もしかしたら父親がいなくなるかもしれない。

 

「あ、これ僕がお寺を継ぐしかないんだ。継がなきゃダメなんだ。」
現実を受け入れよう。

 現実を受け入れなければ・・・

 

人生は無常だな。

何が起こるかわからない。

未来はだれもわからない。

 

自分で何とかできなければ。

 

父は自らの身を犠牲にして、言葉では表せない大切なものを教えてくれたと感じた。

あえて言うなら、仏教の根本原理の「無常」を身をもって教えてくれたと感じた。

世の中は、常ではないぞ!   と

悔しさと有り難さで涙が止まらなかった。

 


大学を卒業し鍼灸師の免許を得、僧侶の資格を取る覚悟ができた時、父は奇跡的に後遺症はあるものの目を覚ました。

 

 

追い討ちをかけるように、その約9カ月後の平成2年1月15日私は、交通事故をおこした。

幸い相手はなく自損事故だった。北陸自動車道(高速道路時速130㎞)で交通事故。

 

3回転宙返りのような感覚の横転事故。

自動車の原型がないほど大破していたが、運転席だけは守られていた。自動車は当然廃車。

 

 この事故によって私は変わった。ようやく気づいた。

 正直に告白すると、

それまでほとんどしたことがなかったシートベルトを、事故の3分前にした。

 

何かを感じ、手が自然とシートベルトへ伸びていた。シートベルトなしではこの世にいなっかたと思われる。

 

事故はスローモーションのビデオを見ているようだった。今でもよく覚えている。

そのスローモーション中に、「自分は何か大きな力によって守られている。生かされている。その力は目には見えないが、はかり知れないほど偉大だと気づいた。」

 

その力こそが“いのち“であり、阿弥陀様である。陰の力である。お陰様だと深く感じた。

その陰の力に感謝して祈り、信仰を元にした生活がそれからスタートした。

 

人生は思い通りにならないからこそ価値がある。

そして何を学ぶのか。自分は何のために生まれてきたのか。

 

どのように生きていけばよいのか、自分の役割、生きる使命その答えがわかった。

 

それは、目には見えない陰の力の有難さを多くの人に伝え、

信仰を根底とした生活を営んでいただくことが私の使命であると思った。


医僧の軌跡  ~やる気満々・・・あれっ?胸が苦しい!~

鍼灸大学を卒業してすぐ、はり灸師として病院に勤務した。

新しい病院で、立ち上げから任せられ、診察室のレイアウトから準備品など先輩に相談しながら行いました。

22歳の若造はやる気満々!!!

はり灸治療は、東洋3000年の歴史と伝統の医学です。はりを教科書どおり刺せば治ると思っていました。

学校で習ったつぼへ、はりやお灸を施していきました。

 

しかし、そのうち、

「治らん。」「まだ痛いのだけど。」

「変わらん。」・・・・・

( グサッ とくる言葉が浴びせられる。 )

患者さんの悩みや愚痴、つらい症状を正面からきいて、受け止め、どうしようもないことまで抱え込んだ。

やる気はあるのだが、精神的にとても堪えた。

 

 教科書に書いてある通りにしても治らない。なぜ?

はり灸治療はツボに刺せばいいのではないか?

どうしてよくなる人とよくならない人がいるんだろう?


どうして、同じツボに治療しても治る人と治らない人がいるのだろう?


良くなる人と、よくならない人の違いは何か?

治療時間が問題なのか? と考え、

一人に1時間以上かけて治療したこともある。

はりをたくさん刺せば治るのか? と思い、30本以上刺入して治療したこともある。・・・

 

そんなことでは、治療効果があがらなかった。

それでも、「有難う。」「助かった。」

などの言葉を励みにがんばった。

 

悪戦苦闘して1年があっという間に経った。

 

これではあかん!

と思い経絡治療を学び始めた。

経絡治療は東洋医学の古典的な方法だが、難しい。

 

それでも何とか勉強して、実際に経絡治療を中心とした治療をはじめた。

1日に20~30人ほど治療していた。

正直とても疲れた。

 

まず気づいたのは

はりをただ刺してもダメだ。ということ。

少なくとも思いをこめて治療するということ。

 

次に名人と言われる人の共通点を見つけた。

治療がはやい。治療が流れるようで時間が短い。

大工さんでも料理人でも一流は仕事がきれいで速い。治療時間が長いのは上手くない。

名人と弟子が、同じ患者に同じつぼをつかって同じ道具で治療しても結果が違う。要するに治療者によって効果が違う。実は針灸は誰がやっても同じではない。など・・・いろいろ気づいた。

 

そのころ、

突然 「あ~・・・」 胸が苦しい・・・・・

 

なぜか手の皮膚はかさかさに荒れた。

顔色に若さのつやがない。

寝ても寝ても眠たい。

朝起きるのがつらい。

そのうち、突然咳き込みだしたり。

突然背中や腰が痛くなったり。

 

自分の命をすり減らして治療している感じがしていた。(身体がもたない。やめようか。)

 

そんな時、鍼を刺すことなく痛みが治まった経験をした。

何なんだ? 何かある。 いったいどうして針を刺すこと無く痛みがなくなるんだ?・・・

 

何をしたかというと、

「楽になったイメージをして」思いをこめて祈った。

ただそれだけだ。

 

そのとき私の中にスイッチが入った。

 

気だ!

気を診断できれば・・・・


医僧の軌跡  ~気診との出会い~

ある先生の治療を見て驚嘆した。

今となっては違和感はないが、いわゆる接触治療、そして気功治療だった。

針を接触させただけで治っている。手を触れずに治る!!!!

先生は、首の筋肉をつまんでいるだけ?

患者さんは3分ほどの治療でも喜んでいる。

治療は3分でも、雰囲気はゆったりとしていた。

この場の感覚はとても気持ちよかった。

交通事故のときに感じた、何かに守られ、気持ちよく包まれているている感覚に近いものを感じた。

 

そして、実際治療を受けてみた。

曇り空が青空に変わる爽快感を味わうことができた。

 

 

あっつ、これだ!!!

 

「治療は針をささねばならないという事はないんだ。患者さんが喜べばいいんだ」

「治療の真髄はは気の調整なんだ」

 

私が探していたものはこれだと直感した。

捜し求めてきたものが目の前にあった。

ワクワクした。

 

平成6年、小田一先生、鍼灸気診研究会との出会いです。

気診とは気の診断と治療のシステムです。頚部の筋肉をつまんで気を診断する検査法です。

 

それから気診を用いた治療をおこない、多くの人の苦痛を笑顔に変えるための修行が始まった。

自分がつらい状態では人を癒せない。
自分の治療が出来て初めて他人の治療が出来るだろう。
まず、自分の治療をしよう。

徹底的に自分の身体で実験した。気診で自分の状態を調べ、適応するツボを気診で見つけ治療していった。

これが気診という気の診断ができるメリットだろう。
治療がうまくいった時は自分の身体が楽になる。うまくいいかなかったら変化はない。

自分の身体は正直だ。

 

気診の修行を始めて、3年ほどたった頃だろう。

気診のおかげで治療が劇的に変わった。

気診により治療するつぼが分かるようになった。その後、念仏の治療で腰痛が治ったり。

自律神経失調症や更年期障害、うつ病が治ったり。

聖書の言葉でも治療でき、効果があった。

 

気診ができてとても有難い。

治療がスムーズに出来るようになるにつれて、

自分自身の体調もよくなった。


そして、家族からも気診治療してほしいと頼まれる存在になった時、開院を決意した。

 

治療院の名前を考えた。

 

人はみな、「長寿」を願い「安楽」を願う。

寿とはいのちのこと。

いのちが楽しく、安楽な人たちが集まるお堂が思い描かれた。

 

そこで治療院の名前を、寿楽堂とした。

いっしょに、有り難い授かりものの「いのち」を楽しんでみがき輝かせましょう。